経営の本質を衝いた書
★★★★★
「もしドラ」のヒットで再び脚光を浴びたドラッカー。別に言い訳しなくてもいいのだが、僕がこの本を買ったのは「もしドラ」ヒットの1〜2年前だ。
韓国にいたときは会社で勤務中でも優秀な部下達が営業を担ってくれていたので、僕の出る幕はなく、インターネットで日経BPのサイトを見ては座学していた。そこで経営を学ぶ書として紹介されていたのがこの本と、本田宗一郎「俺の考え」。すぐにこの2冊を買って、「俺の考え」はすぐ読んだが、この本は長らく積ん読だった。
買って2年ぶりに初めて読んだこの本、さすがに評判が高いだけある。あらゆるマネジメントの課題を抑えてあり、しかも断言調で簡潔に教えてくれる。
たとえば、
『成果を中心に考える』
「 組織においてもっとも重要かつもっとも困難な問題は、長年真摯に働いてきたがもはや貢献できなくなった者の処遇である。帳簿係として働いていた者が、組織の成長に伴い五〇歳で経理担当役員になったものの、仕事をこなせなくなる。人は変わらないのに、仕事が変わってしまった。だが、ずっと真摯に働いてきた。
そのような真摯さに対しては、真摯さをもって報いなければならない。だからといって、その者を担当役員にしておくべきではない。彼の無能は組織を危うくするだけではない。士気を低下させ、マネジメントへの不信を生む。
クビにするのはまちがいである。正義と礼節にもとる。マネジメントの真摯さを疑わせる。組織の精神というものを大切にするマネジメントは、この種の問題を慎重に扱う。」
果たしてこのこと十二分に理解し、この通り対処している会社が世の中に一体何社あることか。多くの会社は、実務担当だったときの功労のご褒美として上がりに役員のポジションを差し出す。しかし、プレイヤーとして優秀な人が経営陣として優秀とは限らない。そういう人を役員にしてしまうトップマネジメントは、下々からその見識を疑われる。
『行動すべきか否か』
「 その指針とは、次の二つである。
(1)行動によって得られるものが、コストやリスクよりも大きいときには行動する。
(2)行動するかしないかいずれかにする。二股をかけたり妥協したりしてはならない。」
このように冷静に判断できるトップマネジメントを冠する会社は世間に一体何社あるか?
『科学としての姿勢』
「 経営科学がなぜまちがって使われているかを解くもう一つの鍵は、リスクに対する態度にある。経営科学は、その文献においても、企業活動への適用においても、最終目標としてリスクをなくすことや最小にすることに力を入れている。
企業活動からリスクをなくそうとしても無駄である。現在の資源を未来の期待に投入することには、必然的にリスクが伴う。まさに経済的な進歩とは、リスクを負う能力の増大であると定義できる。リスクをなくす試みはもちろんのこと、リスクを最小にする試みさえ、リスクを非合理的で避けるべきものとする考えが底にある。だがそのような試みは、最大のリスクすなわち硬直化のリスクを冒しているといわざるをえない。(後略)」
その意味では、計画の見直し、見直しで一年の三分の二を使い、営業に営業をさせないどこかの会社のマネジメントは硬直化のリスクを冒しているといわざるをえない。
最後に、大企業に次の言葉を捧げよう。
『大企業のマネジメント』
「 トップマネジメントの人間が、もはや自社の中心的な人間を個人的に知ることのできない企業は、規模に関するかぎり最終段階に達したといえる。
大企業はフォーマルな組織構造を適切につくりあげなければならないし、その組織構造は明快でなければならない。全員が目標、優先順位、戦略を知らなければならない。組織内における自らの位置と、他の人間との関係を知らなければならない。さもなければ、官僚組織に堕し、成果をあげるよりも慣例守ることに汲々とし、手続きを生産性と取り違えるようになる。
大企業は高度に構造化され、複雑で、しかもフォーマルである。機動性を欠く。したがって、大企業は、原則として、小さな事業、成功しても中くらいの事業にさえ育ちそうにないものには手を出すべきではない。
大企業のマネジメントには、小さな事業に必要な感覚がない。大企業は小さな事業を理解できない。したがってまちがった決定を行う。だが大企業といえども、革新を行うには冒険的な事業には手をつけなればならない。新しいものは、常に小さなものから始まる。」
韓国にいたときは会社で勤務中でも優秀な部下達が営業を担ってくれていたので、僕の出る幕はなく、インターネットで日経BPのサイトを見ては座学していた。そこで経営を学ぶ書として紹介されていたのがこの本と、本田宗一郎「俺の考え」。すぐにこの2冊を買って、「俺の考え」はすぐ読んだが、この本は長らく積ん読だった。
買って2年ぶりに初めて読んだこの本、さすがに評判が高いだけある。あらゆるマネジメントの課題を抑えてあり、しかも断言調で簡潔に教えてくれる。
たとえば、
『成果を中心に考える』
「 組織においてもっとも重要かつもっとも困難な問題は、長年真摯に働いてきたがもはや貢献できなくなった者の処遇である。帳簿係として働いていた者が、組織の成長に伴い五〇歳で経理担当役員になったものの、仕事をこなせなくなる。人は変わらないのに、仕事が変わってしまった。だが、ずっと真摯に働いてきた。
そのような真摯さに対しては、真摯さをもって報いなければならない。だからといって、その者を担当役員にしておくべきではない。彼の無能は組織を危うくするだけではない。士気を低下させ、マネジメントへの不信を生む。
クビにするのはまちがいである。正義と礼節にもとる。マネジメントの真摯さを疑わせる。組織の精神というものを大切にするマネジメントは、この種の問題を慎重に扱う。」
果たしてこのこと十二分に理解し、この通り対処している会社が世の中に一体何社あることか。多くの会社は、実務担当だったときの功労のご褒美として上がりに役員のポジションを差し出す。しかし、プレイヤーとして優秀な人が経営陣として優秀とは限らない。そういう人を役員にしてしまうトップマネジメントは、下々からその見識を疑われる。
『行動すべきか否か』
「 その指針とは、次の二つである。
(1)行動によって得られるものが、コストやリスクよりも大きいときには行動する。
(2)行動するかしないかいずれかにする。二股をかけたり妥協したりしてはならない。」
このように冷静に判断できるトップマネジメントを冠する会社は世間に一体何社あるか?
『科学としての姿勢』
「 経営科学がなぜまちがって使われているかを解くもう一つの鍵は、リスクに対する態度にある。経営科学は、その文献においても、企業活動への適用においても、最終目標としてリスクをなくすことや最小にすることに力を入れている。
企業活動からリスクをなくそうとしても無駄である。現在の資源を未来の期待に投入することには、必然的にリスクが伴う。まさに経済的な進歩とは、リスクを負う能力の増大であると定義できる。リスクをなくす試みはもちろんのこと、リスクを最小にする試みさえ、リスクを非合理的で避けるべきものとする考えが底にある。だがそのような試みは、最大のリスクすなわち硬直化のリスクを冒しているといわざるをえない。(後略)」
その意味では、計画の見直し、見直しで一年の三分の二を使い、営業に営業をさせないどこかの会社のマネジメントは硬直化のリスクを冒しているといわざるをえない。
最後に、大企業に次の言葉を捧げよう。
『大企業のマネジメント』
「 トップマネジメントの人間が、もはや自社の中心的な人間を個人的に知ることのできない企業は、規模に関するかぎり最終段階に達したといえる。
大企業はフォーマルな組織構造を適切につくりあげなければならないし、その組織構造は明快でなければならない。全員が目標、優先順位、戦略を知らなければならない。組織内における自らの位置と、他の人間との関係を知らなければならない。さもなければ、官僚組織に堕し、成果をあげるよりも慣例守ることに汲々とし、手続きを生産性と取り違えるようになる。
大企業は高度に構造化され、複雑で、しかもフォーマルである。機動性を欠く。したがって、大企業は、原則として、小さな事業、成功しても中くらいの事業にさえ育ちそうにないものには手を出すべきではない。
大企業のマネジメントには、小さな事業に必要な感覚がない。大企業は小さな事業を理解できない。したがってまちがった決定を行う。だが大企業といえども、革新を行うには冒険的な事業には手をつけなればならない。新しいものは、常に小さなものから始まる。」
2010-09-07
